2016年12月10日土曜日

平河町ミュージックス第42回 楠本由紀(ピアノ)&荒井英治(ヴァイオリン・ピアノ) バッハとシュニトケ、冬の夜 を聴いた 2016/12/9

公演当日の朝
会場に貸ピアノが運びこまれた。
昼までに調律を済ませ、
午後には、楠本由紀がピアノの前に座る。

そして夕刻
荒井英治がヴァイオリンと共に現れ、
楠本のピアノに念入りに音を重ねていく。

開演
楠本の指が鍵盤に触れ、
聴きなれたバッハの平均律が空間を一気に染める。
開演前に、楠本は満身創痍の貸ピアノの音に不安を漏らしていたが、
その音は澄みわたり美しく響いた。
JS・バッハ / 平均律クラヴィーア集から
プレリュード BWV 846
プレリュードとフーガ BWV 847 BWV 866BWV 867BWV 884

穏やかなバッハの旋律から一変して
不安げな響きを秘めた小品に変わる。
A・シュニトケ / ピアノのための8つの小品

休憩のあと、
楠本に続き、ヴァイオリンを抱えた荒井が登場する。
が、楠本に誘われるように、ヴァイオリンを椅子に置き、
楠本と並んでピアノの前に座る。
20本の指が軽快な音をはじき出す。
A・シュニトケ / ピアノ4手のためのソナチネ

荒井が語りだした。
「時代の先端を行く偉大な芸術家は それまで培われてきた歴史を根底に据えながら新しいものを創り出したように、シュニトケもまた既存の音楽と対峙しながら新しい音を創り出した。
楠本は、東京フィルハーモニー時代に、オーケストラの一員で音楽を作り出す能力と経験をそなえたピアニストとして旧知の仲であり、その彼女から久々に連絡があり、「シュニトケをやりませんか?」と誘いをうけた。
柔和な彼女とシュニトケのイメージが結びつかず、「人は見かけによらないもだ。」とたいへん驚いたが、人前でシュニトケをソロで弾いたことが無かったこともあり、いい機会であると考え共演することになった。」

荒井が言う「シュニトケのなかでも最も過激な曲」 がはじまる。
空間を引き裂くようなヴァイオリンとピアノの叫び。
ガラス越しに見える ひとや車 が行き交ういつもの風景から、
狂気に似た響きがみなぎる室内の時空が少しずつずれていくような不可思議な感覚に囚われる。
シュニトケはコンサートホールで客観的に接するより、
奏者の傍に身を置き、その響きにどっぷり飲み込まれたほうが感受できるものが大きいのかも知れない。
A・シュニトケ / ヴァイオリン・ソナタ第2番「ソナタもどき」

狂気の旋律と同じ作曲家であると思えないほどの優雅なロンドがはじまる。
が楠本によると通常のロンド形式に縛られない独自のスタイルになっているという。
A・シュニトケ / ヴァイオリンとピアノのための祝賀ロンド

楠本が語る
「日本で演奏されることは まだまだ少ないが
シュニトケは様々な側面を持っていることを素直に感じていただけたのではないか。
アンコール曲は シュニトケのきよしこの夜
クリスマスはキリストの誕生を祝うだけでなく、その後の苦難を予感させるもの。
よろこびだけでなく病魔に苦しみ厳しい試練も感じさせるシュニトケらしい曲である」と。

日常的に一流演奏家として音楽に向き合うなかで、
楠本と荒井が、なぜ バッハとシュニトケを対峙して奏でたのか?
古典的な音楽にとどまるだけでなく、常に疑問を投げかけ、
そこから生まれる新しい様相を引き出そうとしているのか?・・・

ピアノとヴァイオリンから繰り出される美しさと狂気にも似た圧倒的な響きを、
全身に受けながら、
遠くを見つめ、いつもと違う感じ方をしている自分がいた。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近










2016年11月19日土曜日

平河町ミュージックス第41回 片岡詩乃&鈴木明子 竪琴あそび~おとでつむぐ物語 を聴いた

公演前夜、片岡詩乃と鈴木明子がグランドハープやアイリッシュハープなど、
それに、シェーファーの楽曲で用いる沢山の打楽器を持ち込んだ。
楽し気に準備を進める二人の姿に、ガラスの外を通りがかる人々が足を止める。

開演
二台のグランドハープの弦に二人の指先が絡み
軽快な旋律が飛び出してくる。
47本の弦の上を激しく走る二人の指先を、
聴衆が息を呑んで見つめる。
ベルナルド・アンドレ/パルヴィス

ハンギングチェアに片岡が身をまかせアイリッシュハープを、
そのとなりでサウルハープを膝に抱えた鈴木が長椅子に腰かけて つま弾く。
空間が、哀愁に満ちた響きにしっとりと包まれる
吉松隆/8月の歪んだワルツ、淋しい魚の聖歌、ベルヴェット・ワルツ


「この曲は、オーケストラの中で演奏したことがあり、
良く分かっているつもりでしたが、
ハープだけで全部の音を表現することは難しく、
直前まで試行錯誤を繰り返し、本番を迎えました。」と片岡が前置きし、
シャルル・ペローの童話集がモチーフの楽曲を おとでつむぎ始める。
モーリス・ラヴェル/マ・メール・ロア


休憩のあいまには、
この日のために、自身の楽器を二人に貸し与えた片岡の友人で
打楽器奏者の稲野珠緒が、ハープのまわりに打楽器をならべる。

後半のはじまりは、
デューク・エリントンのことを想いながら創られた楽曲。
本来はソロの曲を、二台で弾き鳴らす。
目を閉じると、ハープが鳴っていることを忘れるほどの、
ジャズの色彩に彩られた旋律。
ベルナルド・アンドレ/デューク

「次に予定していた武満徹の楽曲の演奏は、
著作権の権利をもつ団体から、
ギター三台用の演奏譜面をハープで弾くことが許されず、
演奏を取りやめ、代わりに、
もともと曲数を減らして演奏する予定のシェーファーの曲を
6曲のうちの5曲まで演奏することで代えたい」と、
片岡が、武満ファンへのお詫びを述べた。

怪物退治のギリシャ神話がもとになっている曲は、
ハーピストが打楽器を打ち鳴らしながら、絃をつま弾く特別なもの。
聴いたことのない音がつぎつぎとハープの弦からはじき出され、
そこに金属や木を叩く音が重なる。
途中、片岡が歌声を 紙筒を介してハープの共鳴胴に吹き込んで響かせる。
神秘的な響きに聴衆の目が点になる。
マリー・シェーファー/アリアドネの冠

アンコールに選んだのは 林光・編曲/七つの子
アイリッシュハープとサウルハープが、
穏やかなメロディーを響かせ、
美しい余韻を残しながら、
二人は、絃を離した。

片岡は、すでに平河町ミュージックスで
ヴァイオリンの漆原啓子との共演や、
久一忠之(パーカッション)大植圭太郎(オーボエ)近藤孝憲(フルート)
を引き連れて「おとで夜遊び」を繰り広げた。
今回は鈴木明子と共に「竪琴あそび~音でつむぐ物語」。
登場の度に、いくつもの引き出しから、
予想をはるかに超えた響きを持ち出す。
その響きの秘密を知ろうと、聴衆が演奏後に二人を取り囲んで、
楽器の説明に耳を傾ける。

片岡と鈴木 のつむぐ物語は、
その響きだけでなく、
優雅でありながら、
指先と体全体を使ってはじき出される超絶技巧の様子が、
見る者を圧倒し、驚きさえ感じさせるものであった。
二人の つむぎだした物語の数々は、
美しい響きと鮮烈な残像として、
聴衆の記憶に、永くとどまるに違いない。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近











2016年9月3日土曜日

平河町ミュージックス第40回 ソウルのチェリストたち Seoul Solist Cello Ensemble を聴いた 20160901

前夜にソウルから来日した9人のチェリストたち
Song, Hee Song Noh, Myeong Kyuen Yoo, Jong Han Oh, Ju Eun Hur, Cheol Choi, Jung Eun Park Go Eun Jeong, Kwang Joon Tak, Yun Ji が、
公演当日、昼下がりの平河町にチェロを抱えて現れた。

開演 
8つのチェロから、それぞれ異なるパートの音色が飛び出し、うねるように重なり合い、
圧倒的な美しい響きとなって空間を揺らしはじめる。
David Popper Suite for 8 Cellos, Op.16 デビッド・ポッパー 8つのチェロのための組曲

8つのチェロにNoh, Myeong Kyuenがソロで加わる。
1つのチェロの晴れやかな響きを追いかけるように、8つのチェロが歌う。
のびやかな旋律と小気味の良いテンポにあわせ、聴衆が体を揺らす。
David Popper Hungarian Rhapsody for Cello Solo, Op.68 Solo; Noh, Myeong Kyuen ) デビッド・ポッパー ハンガリー狂詩曲

ふたたび、8つのチェロ
ドラマチックで、哀愁をおびた音の流れに、韓流ドラマの一コマを観ているよう。
David Popper Polonaise de Concert for 8 Cellos, Op.14 デビッド・ポッパー 演奏会用ポロネーズ


休憩のあと
まるで大きな河の流れのような、おおらかな響きに包まれる。
目を閉じると、小編成のオーケストラに囲まれているようで、とても8つのチェロだけが鳴っているとは思えない
Georg Goltermann Religioso ゲオルク・ゴルターマン レリジオーソ

一転して陽気なマンボのリズム。
時おりチェロを手のひらで打ち鳴らし、楽し気に タンタタ・タタン・タン、ウーー。
Wilhelm Kaiser Lindemann Mambo ヴィルヘルム・カイザー=リンデマン 6人のチェロ奏者のためのマンボ

韓国の人々が ふるさと を想うとき、口ずさむのがこの旋律だと言う。
日本の童謡にも似た懐かしく切ない響きが空間を染め上げる。
Hong, Nan-pa Spring of hometown 洪蘭坡(ホン・ナンパ) 故郷の春

プログラムの最後は、代表的な韓国の民謡 アリラン を編曲した楽曲。
たいせつな祖国への想いが伝わってくるようだ。
Park, Jong Yeop tales2 パク・ジョン・ヨプ 談話2

拍手が鳴り止まなかった。
アンコール曲を2つ奏でて、弓を置いた。


余韻の残る舞台で、一人一人の奏者が紹介された。
1つでも十分な響きを放つチェロが8+1並んだとき、
これほどまでに重厚で深遠なハーモニーが生まれるとは想像できなかった。
若いチェロ奏者たちは、それぞれが、みずみずしい才能にあふれるソリストで、その才能を持ち寄って生まれる重厚で深遠なハーモニーは、これからの音楽界に美しい光を放つに違いない。

右に、ソウルと平河町をつないだ崔海淑Hae Suk CHOI早稲田大学韓国校友会副会長が
中央で平河町ミュージックス佐野実行委員長がポスターを掲げる。そして満面の笑み。

美しい音楽に国境は無い。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ  木村佐近











2016年6月25日土曜日

平河町ミュージックス第39回 低音デュオin ROGOBA Ⅱ  松平敬(歌、バリトン)&橋本晋哉(チューバ、セルバン)を聴いた 20160624

公演前夜に引き続き、
公演当日、松平敬と橋本晋哉が念入りに音を合わせる。

開演
「千載和歌集」の中の3つの和歌が、松平の声と橋本のチューバから
低い波音になって空間を揺らし始める。
近藤譲《花橘》(3つの対位法的な歌と2つの間奏)(2013)

橋本の古楽器セルバンの素朴な低音と松平が発する揺らぐ旋律は、
修道院で聴いたミサ曲にも似て、聴衆を瞑想の世界に引きずり込んでいく。
ギヨーム・ド・マショー《ご婦人よ、見つめないで下さい》

クジラは歌うような声を発するという。
バリトンとチューバの色とりどりの低音が、
2頭のクジラが歌い戯れる様子を浮かびあがらせる。
川上 統《児童鯨》(2016)

14世紀の楽曲。
松平の大きな歌声と橋本のセルバンの響きの掛け合いが、
犬が狩りをする様子をダイナミックにあらわす。
ヨハンネス・チコーニア《犬は戸外で》

特異な組み合わせにより、異次元の世界を描き出すキリコの絵と
それを言葉に置き換えるポール・エリュアールの詩を礎にして、
バリトンとチューバという特異な組み合わせが、それぞれ自己主張しながら、
見たことのない世界を創り出すことを意図して作曲されたという。
低音デュオならではの 不可思議な世界に浸る。
湯浅譲二《ジョルジョ・デ・キリコ》(2015)

公演前夜には、作曲家の中川俊郎と川上統が、
当日には、それに湯浅譲二と近藤譲が加わる。
日本の現代音楽を担う作曲家が揃う 稀有な 休憩時間。
そして、会場ロゴバが欧州家具ショップであることから、
開演前と休憩時間には 低音デュオが持ち込んだ
エリック・サティの「家具の音楽」がBGMで流される。

休憩のあと
9世紀と12世紀に作曲された2つの楽曲がつづく。
『ムジカ・エンキリアディス(音楽の手引書)』より《天の王よ》
作曲者不詳《聖マグヌス賛歌「気高く、慎ましく」 》

テーブルにひろげられたバラの花束に雨樋パイプやメガホンそして地球儀・・・等々、
歌の人とは思えない小道具をせわしなく響かせながら松平が歌い、橋本が吹き鳴らす。
作曲者によると、目下のところ この曲を演奏できるのは低音デュオ以外にいないらしい。
中川俊郎 《3つのデュオローグ、7つのモノローグ、31の断片》(2012)

アンコールに 一曲を添えて幕を閉じた。

それぞれが個性的な実力派ソリストであり、
その際だつ声と超絶技巧の響き、2人の表情と会話の端々まで、
「微妙な混ざり合い」が生み出す他に類を見ない特異な組み合わせ。
平河町ミュージックス2度目の出演となる松平と橋本の「低音デュオ」は、
中世から今年初演したばかりの作品まで多彩なプログラムを携えて、
前回にも増して、今宵、聴衆の五感を大きく揺さぶる 記憶に残るひととき となった。



平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ  木村佐近












2016年5月23日月曜日

平河町ミュージックス第38回 ソングとアコーディオンとコントラバスの縁日・・・・萩京子の〈協和と不協和〉・・・・ を聴いた 20160520


公演前日の夕刻

萩京子の電子ピアノに、、柴田暦が歌声を重ねた。

 

公演当日の午後

萩と柴田のあとから、コントラバスを抱えて溝入敬三が、

さらにアコーディオンを担いで佐藤芳明が加わった。

通し稽古はなめらかに進む。

 

開演

萩が幼いころより最も親しんだヨハン・セバスチャン・バッハ。

そんなバッハに感謝の気持ちを込めて作曲した曲を電子ピアノで奏でる。

その脇には、北欧家具と、来月の山王祭に先立ち御神輿が鎮座し、

異文化の混ざり合う不思議な感覚に包まれる。

装飾音符は語る その2 バッハに捧げる ピアノソロ/ 以下すべて萩京子作曲

 

これは「調和と不調和」あるいは、「一致と不一致」のダンスです。と

萩が語る楽曲は2001年に、萩の学友 溝入が初演した。

溝入の絃の厚みのある響きは、まるで萩の内面の叫び声のようだ。

DANCE OF ACCORDANCE and DISCORDANCE」~コントラバス ソロのための

                                                         

30余年前から、萩が夢中で作曲したソングの数々を、

柴田が ひときわ甘くのびやかな歌声に置き換える。

すももの歌・・・・・・・・・詩:ベルトルト・ブレヒト 訳:野村修

メッセージ・・・・・・・・・詩:ジャック・プレヴェール 訳:平田文也

唄・・・・・・・・・・・・・詩:ジャック・プレヴェール 訳:小笠原豊樹

青いカナリア・・・・・・・・詩:加藤直

 

1997年にこんにゃく座によって初演されたオペラ『ガリバー』で歌われた歌。

ガリバーが行く先々で巨人になったり小人になったり、

まわりの環境で扱われ方がまるで異なる。

でも「神様に感謝!ちょうどいい大きさで良かった」と。

ガリバーを、いまの自分に置き換えて 聴いていた。

ジャスト・マイ・サイズ・・・詩:朝比奈尚行

 

休憩のあと ソング がつづく

「その詩のシンプルさの前にたじろぎ、なかなか作曲できないでいました」と

萩が回想するほど、平易なことばが深い意味を持ち、鮮明に情景が湧き上がるような詩。

そして、美しい旋律にのせた柴田の澄みわたった歌声が聴衆を包む。

金子みすゞの詩による3つの歌

 ゆめ売り

 明るいほうへ

 このみち

 

萩オペラは別役実の戯曲から出発したという。

萩にとってひときわ大切な楽曲。

別役実の詩による2つのソング

 帽子屋さんの子守唄

 アリスの歌

 

10年前に、本日と同じく、アコーディオン佐藤、コントラバス溝入の演奏により初演された曲。

「直訳すれば『調和と不調和の踊り』とか、『一致と不一致のダンス』。

信頼する二人の演奏家を想定して、調和と不調和の境界線を綱渡りするようなスリリングな音楽を目指して作曲」と、萩は初演プログラムノートに記した。

アコーディオンとコントラバスのための「DANCE OF ACCORDANCE and DISCORDANCE Ⅱ」

 

「横浜こども科学館」で、1980年代の春休みや夏休みに行われた「科学バラエティー・ショー」で、こどもたちに科学への興味を促すようなショー仕立ての演目を数多く作曲した中から選び抜かれた5曲を、萩と柴田、佐藤、溝入の4人で音に変える。

子供の頃のメロディーは意外と記憶に残るもの。この歌を聴いて科学の道に進んだ大人がいるかも知れないと想いながら4つの音を追いかける。

ソング(「科学バラエティー・ショー」より)

 はじめの歌・・・・・・・・詩:山元清多

 まわる、まわる・・・・・・詩:山元清多

 太陽系のうた・・・・・・・詩・山元清多

 コンピューターの歌・・・・詩・山元清多

 空気のうた・・・・・・・・詩・朝比奈尚行

 

アンコールに、

空気のうた を聴衆と一緒にうたい、幕を閉じた。

 

萩は「平河町ミュージックス」に作曲家として、またピアノ奏者として過去にも出演しているが、出演のたびに全く異なる魅力的な演出を見せる。
しかし、音が流れだすと、聞き覚えのある萩の旋律がちりばめられ、やがて萩ワールドの中に取り込まれている自分に気付く。萩と初共演の柴田の美しい声も、古くからの仲間である佐藤や溝入のそれぞれ卓越した才能も、そのルツボのなかに取り込んで、萩色に染め上げる。
電子ピアノとソングとアコーディオンとコントラバスによる楽し気な響きに、100余名を超える満場の聴衆も染められた 楽しい縁日であった。

 

 

平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近