2013年12月7日土曜日

平河町ミュージックス第24回 溝入敬三「山椒魚は悲しんだ。コントラバスも悲しんだ。~井伏鱒二が亡くなって20年らしい~」 を聴いた

公演当日の夕刻。
溝入敬三がコントラバスを持ちこんだ。
たった一つのコントラバスだけで、
どのような世界を創ろうというのか。
・・・期待が高まる。

開演。
「大きいけれど重さは15㎏しかない。
ベースとコントラバスは同じもの。」
軽妙でユーモアにあふれる語りからはじまり、
いつの間にか聴衆は、溝入の世界に引き込まれていた。

コントラバス奏者の甲斐のなさ、哀愁を
ユーモアに包んで歌い出した。
歌と、溝入の表情が、聴衆の笑みを誘う。
むなしい人間の努力の唄 / クルト・ワイル作曲、溝入敬三作詞
小吉の夢 / 溝入敬三作詞・作曲

指で弾くピッツィカートと、弓で弾くアルコの2曲からなる作品。
作曲家がニューヨーク滞在中に通っていたジャズの匂いがする。
IN&OUT / パスカル・デュサパン作曲



わっっはっっはっっはぁぁぁ。

大きな笑い声ではじまった。
コントラバスの安定した響きに重ねて、
時に情熱的に、時にしみじみと歌いあげる溝入の所作の向こうに、
怪盗と名探偵の場面が、臨場感を伴ってイメージできる。
怪盗キクノロと名探偵アキチくん / 溝入敬三作詞・作曲

休憩のあと
山椒魚の大作。
岩穴の中で暮らすうちに、体が大きくなって
外に出られなくなった山椒魚の物語。
溝入の創りだす響きと、歌がもたらす情景を
眺め聴いているうちに、
色々なしがらみにしばられて、穴の外をうらやむ
自分自身のことのように思えてくる。
山椒魚 / 井伏鱒二原作、溝入敬三作曲

用意していたアンコール曲と
さらに小品を演奏して、
溝入は余韻のなかに弓をおいた。






たったひとつのコントラバスと、笑いをさそうユーモアまじりの絶妙な語り、悲哀をこめた歌声が重なり合う時、小説を読む時のように、情景がそれぞれの聴衆の脳裏に浮かびあがり、一方的に音楽の演奏を見聴きする時よりも、自身の想像力による情景が加わる分、より豊かな音楽のちからを感じることができた。


ひとつのコントラバスと語りと歌声が創り出す溝入の世界に
聴衆は山椒魚のように幽閉されて、
その心地良さに包まれたひとときであった。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近









2013年10月19日土曜日

平河町ミュージックス第23回 ル・クラブ・バシュラフ 「アラブ古典音楽の夕べ」 を聴いた

公演当日の夕刻、ル・クラブ・バシュラフの「ウード」奏者で多摩美術大学教授の松田嘉子、「ナイ」と「リク」奏者で作曲家の竹間ジュン、ボーカルの子安菜穂が揃った。PA(拡声装置)のバランスを確かめるために、少し音出しをしただけで、通し稽古はなかった。

開演。
11本の弦をもつ琵琶のようなかたちをした松田の「ウード」と、葦でできた竹間のたて笛「ナイ」の音色が空間を一気にアラブの色に染めた。
「サマイ・バヤティ・ジャディード」(バヤティ旋法による新しいサマイ)
「サマイ・サバ」(サバ旋法によるサマイ 松田嘉子作曲)

竹間のたて笛「ナイ」の即興演奏が続く。
アラブ音楽のサマイというリズムは、様々な旋法(マカーム:音階)からなっていて、西洋音楽の音階にはない中立音程(半音ではなく3/4音など)が使われるのが特徴であり、ピアノの鍵盤では出せない音程が独特の旋律をつくりだすらしい。

子安の歌声が加わった。
チュニジアにつたわる恋愛などを歌う甘く切ない子安の歌声に聴衆が引き込まれていく。
それにしても、開演直前に会場に現れ、通し稽古なしで、これほどまでに3人の息がぴったり合うことに、驚く。
「ワスラ・ハスィン」(ハスィン旋法による組曲)

恋人が去った悲しみを歌う。
サバ旋法の曲は、「悲しみのマカーム(旋法:音階)」と呼ばれ、西洋音楽の短調にアラブの神秘さを加えたような雰囲気。
「ガザーリー・ナファル」(恋人は去ってしまった)

まだ覚えていますか。
移ろいゆく人の心を音に変えたような旋律。
竹間の奏でるタンバリンに似た楽器「リク」が、複雑なリズムを小気味良く叩きだす。
「リッサ・ファキル」(まだ覚えていますか)

休憩なしで、最後の曲を奏でる頃には、聴衆はアラブの響きにすっかり心酔していた。
「インタ・オムリ」(あなたこそ私の人生)

そしてやはり、拍手が鳴り止まなかった。
アンコールにチュニジアの愛の歌を演奏して、幕をとじた。

演奏の後、
ル・クラブ・バシュラフ2013年チュニジア公演ライブ録音CDリリースのお知らせがあった。
オフィシャル・ブログサイトで、CD購入のほか、グローバルな活動の様子をうかがい知ることができるようだ。
http://leclubbachraf.blogspot.jp/


ふだん聴くことのない楽器の響きと旋律、そして歌声を目前にして、西洋音楽が長調と短調による明・暗の感覚で成り立っているのに対して、アラブ音楽は人の情感のゆらぎのような多くの感覚が含まれている印象を受け、予想を超えるカルチャーショックを感じた。
そして何より、日本人でありながら国内外でアラブ音楽を自由にあやつり高い評価を得ているル・クラブ・バシュラフの3人の存在に大きな感動を覚えた。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近









2013年9月14日土曜日

平河町ミュージックス第22回 御喜美江 大田智美  「アコーディオン ソロとデュオ」 を聴いた

公演前夜
御喜美江と大田智美が、それぞれの響きをたしかめた。
ほとんどの会話が自然にドイツ語になっていた。
御喜の御主人、名ピアニストのシェンク氏が、
あたたかく見守る。
                           
公演開幕
ふたつのアコーディオンの音が空間に満たされ、
林光のメロディーが、聴衆を一気に包みこむ。
林光・野田雅己編曲/「裸の島」

大田智美のソロがはじまる。
鍵盤ではなく、おびただしい数のボタンを操る
大田の指先に、聴衆の視線が釘付けになる。
林光/「蜜蜂は海峡をわたる」

御喜がひとりで弾きはじめる。
アコーディオンの鍵盤から、
紡ぎだされる響きに聴衆が耳を傾ける。
高橋悠治/「谷間へおりてゆく」

突然、あかりが消えた。
闇に包まれた空間を、
御喜のアコーディオンが震わせる。
ジョン・ケージ/「夢」

「なるべく離れて弾くこと」と書かれた楽譜どおり、
1階に御喜が、中2階に大田が動いた。
ふたつの音が、小気味良く天と地を行き来して響きあう。
試奏のとき、御喜は「空間も楽器なのね」と語っていた。
客席の高橋悠治は、扇子の手をとめて、じっと聴いていた。
高橋悠治/「雪・風・ラジオ」

休憩のあと、
空間が一変した。
その響きは、まるで教会の大きなパイプオルガンのように、
天空から降り注ぎ、空間を大きく鳴らした。
鳥肌が立つ。
J.S.バッハ/「ファンタジーとフーガ ト短調BWV542

御喜のソロがはじまる。
コンクールで13才の少女が弾いた曲に感銘し、レパートリーに加えた曲や、
ヨーロッパへのあこがれを呼び覚ますきっかけとなった曲など、
同じ13才で単身ドイツに渡った御喜自身の姿を重ねて
一つずつ、ていねいに、弾いた。
御喜の眼が一瞬潤んだように感じたのは私だけだろうか。
フィリップ・グラス/「モダン・ラブ・ワルツ」
M.K.オギンスキー/「さらば祖国よ」
M.ルグラン/「シェルブールの雨傘」
A.ピアソラ/S.V.P.」「バチンの少年」「白い自転車」

ふたたび二人が並んだ。
聞き覚えのあるメロディーに
観客が思わずプログラムを読み返す。
なんと「五木の子守唄」から始まった。
いつの間にかピアソラの旋律に流れ込む。
美しく心憎いサプライズ!
A.ピアソラ/「天使へのイントロダクション」「忘却」「エスクアロ」


拍手が鳴り止まなかった。
が、予定していたアンコール曲を弾く余力は残っていなかった。
それほどの渾身の演奏だった。
世界屈指のアコーディオン奏者御喜美江と愛弟子大田智美は、
その輝かしい経歴を感じさせない気さくさと優しさにあふれていた。
そして、時折、眼と眼で合図を交わし合う二人の息の合った演奏は、
聴衆を魅了し続けた。

先端を走る二人はまた、それぞれ自身の演奏を続けながら、
後進の指導にもあたっている。
美しい響きが受け継がれていくことと、
また、ここで二人のアコーディオンが響くことを願いながら、
その笑顔を見ていた。





平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近











2013年7月6日土曜日

平河町ミュージックス第21回 通崎 睦美 「モッキンソロとリコーダーとのデュオ」 を聴いた


公演当日の昼下がり
リハーサルは木琴の組立てからはじまった。
戦前、米国で活躍した木琴奏者「平岡養一」がつかい、
通崎睦美に引き継がれた木琴は、
往時のままの響きと共に、6つのトランクに収められていた。

開演
マレットが木琴に触れ、
木を叩く清らかな響きが
つぎつぎと、空間にひろがる。
イギリスのナイチンゲール~「笛の楽園」より/Jファン・エイク
相馬流れ山/相馬地方民謡・野田雅巳編
ちんさぐぬ花/沖縄民謡・港大尋編
砂に消えた涙/P.ソフィッチ・当摩泰久編

通崎が大きさのちがう2本のマレットを持ち、木琴と向き合った。
左右の微妙な音の違いが、軽妙なリズムを刻む。
時には左右のマレットを持ちかえ聴衆の耳と目を釘付けにする。
演奏が終わると同時に作曲者鷹羽弘晃が満面の笑みで駆け寄った。
木霊~独奏木琴のための(新作初演)/鷹羽弘晃

小沼純一が通崎に語りかけた。
戦前、米国にあった平岡養一の楽器が今ここにあることや、
そもそもマリンバ奏者であった通崎が木琴を演奏することになったわけなど。
目の前に並ぶ古びたトランクと木琴の物語に、聴衆が聞き入った。

かつて米国のラジオで、
毎朝平岡養一の生演奏が流れていたという。
そのときの木琴から、そのときとおなじ響きを
通崎が叩きだす。
ソナタ~独奏木琴のための より/T.B.ピットフィールド

休憩の後
本村睦幸が数本のリコーダーを携えて加わる。
木管を通り抜けた美しい響きが、
木を叩く音に重なり合い、
響きがいっそう華やかになっていく。
かるわざ師/JCノード

通崎と本村にふたたび小沼が問いかける。
マリンバと木琴の違いやリコーダーの特徴など。
そして木琴とリコーダーのための作品の演奏に移る。
発明家より/野田雅巳

二人のデュオのために通崎と本村が当摩泰久に
作曲を委嘱した曲。
当日のリハーサルにも立ち会った当摩は、
二人の紡ぎだす響きを客席でたしかめていた。
斜面のクーラント/当摩泰久

本村が語る。
木琴とリコーダーのデュオにあう曲は稀で、
数ある楽曲から二人が試行錯誤で選び出した旋律を
並べたと。
バロック・アソートメント
/G.P.テレマン、R.ヴァレンタイン、ゲントのルイエ、G.F.ヘンデルのソナタから

聴衆の拍手に応えて、
二つのアンコール曲を奏でた後、
余韻をともないながら、幕を閉じた。

モッキンとリコーダーと聞いたとき、
木琴のバッグを片手に、
リコーダーをランドセルに差して通った小学校の
音楽の授業で鳴らした素朴な音を想い出した。
その音とは天と地ほどのちがいはあるものの、
きょう、二人の響きの前に、
そんな幼い日の記憶がよみがえり重なった。
通崎のモッキンが叩きだす清らかで変幻自在な響きと
本村のリコーダーの澄んだ響きが織りなす美しい旋律は、
このひとときを支配し、
多くの聴衆の幼い記憶まで呼び起こしたかも知れない。




平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近










2013年5月18日土曜日

平河町ミュージックス第20回 石川 高 「石川 高による雅楽の古典と現代」 を聴いた


公演当日の午後
石川高が
笙と向き合っていた。
17本の竹の根元に付いている金属リードに
クジャク石の粉を塗り、
微妙な音の違いをなおす。


開演
石川の笙に
中村仁美の篳篥(ひちりき)が加わる。
白い空間が
神が舞い降りたかのような
神々しいい響きに包まれる。
唐楽「太食調調子、合歓塩(がっかえん)」

正倉院に眠る楽器「竿(う)」の音が甦る。
笙よりも低く小さな音で空間が満たされる
音を聴くというより、静けさを聴いているような
うつくしい調べに
聴衆は、息をひそめた。
正倉院復元楽器竿(う)」による即興


笙は、吐く息と、吸う息の全てを音に変え、
継ぎ目なく鳴りつづける。
石川は笙を置き、
その息を声に変えた。
笙を通さずとも、その伸びやかな歌声が、
朗々と響く。
朗詠「花上苑(はなじょうえん)」

息が結露しないように、
笙を温めながら、
石川が曲を紹介する。
「笙には、古代紀元前の調律法がつかわれている。
その調律法をもちいて
つくられた現代の旋律がある。」と。
藤枝守:「植物文様 第17集 pattern C

後半、
石川との即興のあと、
中村仁美が語った。
篳篥(ひちりき)は、
竹筒と「ヨシ」でできたリードからなり、
唯一、淀川河川敷「鵜殿ヨシ原」に原生する「ヨシ」が
使われる。
この「ヨシ原」を横断する高速道路計画があり、
「ヨシ」を守る運動に参加していることを。
篳篥と笙による即興

万葉集を彷彿とさせる現代詩に
石川が曲を付け、
古代の神楽歌にある歌い方で
うたう。
寮美千子(詩作):「ぬなかわの」

石川が
中二階に消えた。
笙の響きが天空から降りてくる。
石川 高:「きざし」

ふたたび、
石川と中村が並んだ。
儀式では、退場の音楽として奏でられる
荘厳な響きが
最後の曲となり、
さらにアンコール曲で、
響きを締めくくった。
唐楽「長慶子(ちょうげいし)」

笙と篳篥の音色は、
古代から、神々にささげられ、
その響きに、神の気配を感じるのは、
日本人に刷り込まれた音の記憶なのかも知れない。
石川が中村と奏でる古典と現代の響きは、
神々の記憶だけでなく、
あたらしい気配を運んできた。
この響きは、
日本人の記憶に、あたらしさを加えながら、
永く生き続けるに違いないと思った。



平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近