2012年3月17日土曜日

平河町ミュージックス第13回公演 田島和枝 春の響きを聴く を聴いた

春の響きは、天上から降りてきた。
はじまりは、
田島和枝と大塚淳平が奏でる
平調調子(ひょうじょうのちょうし)雅楽古典曲。
吐く息も吸う息も音になる笙から、
途切れなく、ゆらぎながら、あふれ出る響きが空間を満たした。










中二階から二人が歩きながら笙を奏でる。
笙から発する響きは空間全体を大きな波動で支配し、
ただでさえ、笙がどこで鳴っているのか定かではないのに、
笙が歩くことで、目を閉じると、響き全体が渦巻くような錯覚を覚え
めまいさえ感じさせる。




越天楽(えてんらく)に続き
大塚の唄う笙歌に田島が笙の音色を重ねる。
笙の音が終わった時、一瞬、無音の静寂が訪れ、
聞きなれているはずの日常の音が、
聞きなれない音として次第に聴こえてくる。
不思議な感覚だ。



John Cage(ジョン・ケージ)のOne9(ワンナイン)より。
この楽曲を、かつて田島の師匠は
「できるだけ小さい音で吹け」と田島におしえた。
楽譜に示された音の長さを、iPhoneのストップウォッチで
正確にたしかめながら、消え入るような音を奏でた。
小さな音と次の小さな音の間の、音の無いひとときに、
今まで聴こえなかった街角の様々な営みの音が聴こえ出し、
笙のメロディーに組み込まれていく。

嘉辰(かしん)のあと、
即興曲と、雙調調子(そうじょうのちょうし)。
二人は、空間を巡り歩き、
その響きはふたたび渦巻いた。
1階に田島、中二階に大塚が巡りきたとき
最後の笙の響きが鳴り終り、静寂に戻った。



アンコール曲で余韻に浸った聴衆は、
演奏後の田島と大塚を取り囲んだ。
田島の静かな語り口に聴衆が聴き入った。








笙は吸い吐く呼吸そのものが音になる楽器。
17本の竹に付いているリードは
自らクジャク石を粉に挽き溶いて塗り、音を整える。
その調律は二日がかりであること。
「調律で音が合った時の感覚がたまらなく好き。」
「笙は、その場の空気を音にしてお返しするもの。」
「笙は、その場の空気を整えるお香のようなもの。」


日本に生まれながら、
笙を手の届く場所で見聴きすることのない聴衆は、
今日のひとときに五感を揺さぶられたに違いない。

春の響きにとどまることなく、
四季を通じて、
その響きがより多くの人々に届くことを願いながら、
田島の手のひらに包まれた笙を見ていた。


平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ   木村佐近