2010年6月19日土曜日

平河町ミュージックス第二回 草刈麻紀公演 萩京子VS木々のさざめき を聴いた

梅雨空の雨の音をガラス越しに感じながら、
草刈麻紀のクラリネット、森枝繭子のオーボエ、大澤昌生のファゴットの木管のやわらかな響きが聴衆をとらえた。
おだやかな演奏会のはじまり。

歌役者の彦坂仁美と佐藤久司の歌声と所作が加わる。


人のこころの動きを言葉におきかえた 俵万知や宮沢賢治の詩。
その言葉達に作曲家萩京子が、美しい音をあたえたソング集。
彼らは楽しそうに音を紡ぎだし、
ロゴバの白い空間を余すところなく使いながら歌い上げる。

客席の片隅で、萩京子のやさしいまなざしが見守る。

白い空間が、暗い闇に包まれた。

吹き抜けに浮かんだ中二階から、
メシアン作曲、世の終わりのための四重奏曲「鳥たちの深淵」が聴こえ始めた。
悲しげな旋律。
草刈のクラリネットの音が深い闇の彼方から降りてくるようだ。


白い空間が、明るさを取り戻し、再び宮沢賢治の世界に。
宮沢賢治が妹の死を乗り越えたときにつくった
詩集「春と修羅」第二集 「薤露青」(かいろせい)。
薤露とは、ラッキョウの葉にたまった露の意味で命のはかなさをあらわすもの。
賢治の言葉が美しい旋律と透き通った歌声に乗る。

白い空間は、極上の響きに包まれた。

演奏後、出演者と聴衆は、余韻に浸りながら、ワイングラスを傾けた。
ガラスの向こうの平河町に、そのさざめきがあふれ出していた。






平河町ミュージックス実行委員会ワーキンググループ 木村佐近

2010年6月10日木曜日

コンサートやライヴに行くとき、
ほとんどの場合は「お客さん」として、です。
でも、年に何回かは、
わずかなりとも主催者「側」、になったりします。
平河町MusicSでは、主催者として、初回のステージに接していました。
ゲネプロ-----本番とほとんどおなじようなかたちでおこなわれる、
いわば最後の、通し稽古、ですね-----も途中から参加し、
開場すると、受付周辺に立ち、
開演中もそのあたりから全体を、
聴く、というより、見渡していました。

演奏について、音楽について、はともかく
(予想どおり、でありつつ、予想「以上」でもありました)、
わたしが感じていたのは、会場の雰囲気、空気であり、
お客さまたちの物腰、表情でした。
演奏、音楽を、という以上に、
演奏、音楽が、この場とともにあり、
この空気のなかにあることを楽しんでいらっしゃる、
そんなふうに感じられたのです。
ガラスごしに届いてくる外のノイズも、
うるさく、邪魔してくるもの、というより、
箏の音・音楽にむしろ耳をそばだてるきっかけのよう、
あるいは、
外の音というのはこんなふうになっているものなのか、
と気づかせてくれるよう、
だったのです。
これはわたしのおもいこみでしょうか?

もうひとつ。
いわゆるコンサートホールではない、
北欧家具とキリムをおいている店で、
スタッフは全員、やったことのないことをしている、
というのもあります。
ときには戸惑ったりという表情もないわけではありません。
ぎこちなさだってあります。
それでいて、どこか楽しんでいる、
おもしろがっている、というと語弊がありそうですが、
通常の業務とは違った緊張感とリラックスが心身のなかにある。
それを、身近にわたしは感じていました。
また、
ROGOBAと安井建築設計事務所と、
隣りあったビルで働いていながら、
ほとんどは縁のない会社どうしで仕事をしている社員の方々が、
ここではコンサート運営に、携わっているのです。
まったくの無償、で。
皆さんは、いちおう、実行委員に名をつらねているのでわかっていますけれども、
業務以外にもかなりしなくてはならないことがあります。
そのうえで、10人前後の人たちが一緒に音楽の場をつくっている。
音楽がたとえ好きであったとしても、
開演中にも席を占めて、集中して演奏を聴くわけにはいきません。
それでいながら、ただの仕事、業務ではないかたちでかかわり、
役割分担はあるにしても、ひとつの場をたちあげてゆく。
いいなあ、と、わたしはおもっていました。
こういうかたちで何かに関わることができる、
参与できる、というのが、音楽の、いえ、ひとのいとなみなんだなあ、と。

わたしもその一部に参与できているのか、
いい表情になっていたかどうか、は、わかりません。
そうなっていたらいいな、とおもうばかりですけれど。

平河町ミュージックス実行委員 小沼純一